満たされない好奇心への回答

自分を取り巻く環境に何が足りなかったが判った気がした。環境じゃないかもしれない、漠然で捉えようが無く説明が難しいと感じられていた不満をどう解消すべきだろう、というずーっと続いていた禅問答への回答。

一人一人に自由な行動を許される代わりに、肩に重くのしかかる責任に不安を感じているのかもしれない。
極端な言い方をすれば、誰でも良い、誰かに“それで良いよ。こうするともっと良いよ。”と言って貰いたいだけなんだろう。他人からの確かなアドバイスが自分の考え・信念に間違いが無かった事を支え自信がより強いものへと再構成される感覚が欲しい、と。

認められる事で自信に繋がるのであれば、知り合いではなく仕事で直接関わっている周りの人間から認めてもらう事の方がもっと大きな自信に繋がるとも思う、だけど、何故かそれが「出来ない」あるいは「周りを巻き込んで出来ない」と言った方がより正確か。

この「出来ない」事実そのものが問題なのだと思えた。

もう1つ、仲の良い関係の人間の間での「競争心」が芽生えていない事。こっちの方がもっと重要かもしれない。刺激が欲しいと言い合うけど、どこ見てんの?って感じだ。業務に必要な情報交換が成されていない気がして成らない。それって互いに信頼しあっていないんじゃないの?「アイツは頼りにならない」ってふうに。

自分が進むべき目標を高く設定する事に異論は無い、だけど、身近な交遊関係の中ではなく、文化や価値観の異なる外部の環境に見出すべきじゃないだろうか…。その為にももっと外へ意識を向け外向けに行動を起こす必要があるのは確かだ。

目標とする人との接触を希望するならば、相手の興味を惹く何かを持っていた方がもっと望ましい状況になるとも思うけど。一方的に相手側から手を差し伸べて貰える状況を期待するのは少し虫が良すぎる、という批判もある。

但し、同時に、本人ばかりの問題でもないとも思う。
適切な判断を下せる様、周りが最大限情報を共有・提示する為の仕組み作りに協力的でないと成り立たない。業務を遂行するための解答は無いがセオリーが存在する(場合もある)。知っているか知らないかとで随分変わる。