「結局最後は人柄」は上手くいかない

会社組織で特殊な才覚・技能をもった人材を募集している状況で「結局最後は人柄」というフレーズを耳にする。これはきっと上手くいかないと思っている。


人柄といった曖昧な評価に頼ることは、具体的に突っ込んだ能力や技能評価がなされていないことの裏返し。要員の配置・計画の思慮の無さでもある。但し、人柄が特に重視される職種、それは勿論別の話。


敢えて言うなら「まずは人柄」、つまり最初に気にした方が良い=あくまで最低限満たしていて欲しい前提、としたい。わざわざ気にするような人柄であるならその時点でアウト。


それにそもそも人柄のよさは他人からの評価であって本人の自己申告などまったく当てにならない。


そう考えると敢えて人柄の重視を強調すること自体がナンセンスに感じられ何だか空しくなる。只、深読みするならば人柄重視をアピールすることで、対外的な評価を得ようという意図も働いているのだと思う。


数射ちゃ当たる的な無節操な「人柄を重視します」的な募集メッセージよりも、もっと効率的で適切な言葉・本当に望む人材を射止めるメッセージがきっとある、そう思う。それに気付いている会社組織は極めて専門性の高い事業を良好な職場環境を提供しながら効率良く経営をされていて、皆、充実しているように見える。