PG、SE出世魚の撲滅

誰が最初に言ったのかは判らないがPG⇒SE⇒管理職という俗にいう「SE出世魚」的な処遇がIT業界では何だか蔓延(はびこ)っているみたい、というか通説だと思っていた。私はこういうキャリアパスは妥当でないと不服に思っており…否、心底気に入らない。


妙齢に達し、無理矢理管理職に就けて不幸にも十分な能力を発揮できないのだとしたら、一番打撃を受けるのはその下で働く部下なのだ。そのときは管理職に就く事を受け入れた本人と人事を決定した上役、両方が責任を取ってしかるべきだと思っているのだが…と、この詳しい事はまた今度考えよう。


ところが最近の転職活動中、必ずしもこういうキャリアパスを敷くIT企業ばかりでは無いようで、自分の無知を実感している。内情は良く分からないにしても上級技術職というキャリアパスを公にし認めている企業が実際にあるようだ。


CTO (chief technology officer)が在籍しているような企業だとそのような風潮が強いようで技術者としてはシビアになるため自分を厳しく律するなど必要だが何とも頼もしいことだ。


脱線すると、PG、SE出世魚キャリアパスを敷くIT業界では、コーダーとは(私は良く知らないが)一昔のキーパンチャーとかいう何も考えずひたすらにキーを叩く人という少し蔑んだ意味らしいのだが、そもそも今の時代、本当の意味でコーダーと呼ばれる人がいるのだろうか?私はコーダーとはある意味特殊な技能を有している立派な職種だと思っている。実際仕事を一緒にしたことのあるHTMLコーダーを例にするとひたすら早く美しくValidなXHTML(=つまり熟知しているということ)をぶっ叩く仕事ぶりは賞賛に値する。


PG、SE出世魚は人月見積もりというシステム開発の下請け構造に起因しているようなブログエントリーを読んだことがあるが、多分その通りなのだろう。



ここ最近、技術にこだわり技術者として生涯を全うしたいと強く思うようになった。

まずは人ありきという考え方について

社員を大切にしてますか - ワークライフバランス認証制度が11月にスタート | 経営 | マイコミジャーナル
こうした認証制度の設立には、人口減少に伴う人材難が背景にある。また、ビジネスのグローバル化などにより、競争力の強化が必要とされる企業がその原動力となる有能な人材を確保するためには、これまで以上に職場環境が重要視されるようになっている。


こういう制度を待っていた。ようやく人が居着けない会社の淘汰が始まる。願わくば制度が形骸化しないことを祈るばかり。


従業員のモチベーションを高めると謳った施策を盛り込んでいる会社の求人なども目にするが、それはわざわざ公言して欲しく無いと思うのは私がへそ曲がりなのだろうか。そういう求人などを目にする度になぜかとても残念な気持ちで一杯になってしまう。


高いモチベーションを維持できる良い環境ではそもそもモチベーションを挙げる努力はさほど必要ない、自然と活気ある良好な雰囲気が形成されていてそれを維持することやより充実させることを考えるのではないだろうか。モチベーションの向上を謳っていたらそれは一種の危険を知らせるシグナルみたいなモノだと考えている。


矛盾しているようだが従業員のモチベーションを高めたいのであればその従業員に向かってモチベーションを高くしますと言わない方が良い。


つまり、初対面の人に「私は人にとても信用されていますので信用してください」と平気な顔で言うのと同じくらい気持ち悪い。


従業員自身が上げたいと望んでいるのはモチベーションでは無い。


自身の技能や評価それと給与(所得)、それだけだ。


それらが上がったことに満足して、初めてモチベーションも上がるのだ。


と思う。


ここまで書いて見出しと内容を無理矢理合わせると、人ありきという考え方は当然として第三者に示して判って貰うにはどうしたら良いのか、それが課題だ。

「結局最後は人柄」は上手くいかない

会社組織で特殊な才覚・技能をもった人材を募集している状況で「結局最後は人柄」というフレーズを耳にする。これはきっと上手くいかないと思っている。


人柄といった曖昧な評価に頼ることは、具体的に突っ込んだ能力や技能評価がなされていないことの裏返し。要員の配置・計画の思慮の無さでもある。但し、人柄が特に重視される職種、それは勿論別の話。


敢えて言うなら「まずは人柄」、つまり最初に気にした方が良い=あくまで最低限満たしていて欲しい前提、としたい。わざわざ気にするような人柄であるならその時点でアウト。


それにそもそも人柄のよさは他人からの評価であって本人の自己申告などまったく当てにならない。


そう考えると敢えて人柄の重視を強調すること自体がナンセンスに感じられ何だか空しくなる。只、深読みするならば人柄重視をアピールすることで、対外的な評価を得ようという意図も働いているのだと思う。


数射ちゃ当たる的な無節操な「人柄を重視します」的な募集メッセージよりも、もっと効率的で適切な言葉・本当に望む人材を射止めるメッセージがきっとある、そう思う。それに気付いている会社組織は極めて専門性の高い事業を良好な職場環境を提供しながら効率良く経営をされていて、皆、充実しているように見える。

コピーロボットの恐怖

コピーロボットに仕事を任せて自分はのんびりしよう思ったのに、いつのまにか自分に仕事を全て押し付けられていた。一方のコピーロボットはのんびり午後の珈琲タイム。ポルナレフもびっくり。


自分がやりたがらない事を自分の分身が一生懸命やってくれるかどうかなんて判らない。


でも、ロボットだけにきっと完璧な記憶力なんだろうなぁ。

不買リスト

最近なんというか不快感を覚える企業が多くなってきたように思う。なぜそうなったのかは定かではないけど。一言で言うと誠実さを感じない企業。

ただしそれらはあくまでも私個人の主観(好き嫌い)であって、消費者としての選択をしているに過ぎないことを理解頂きたく。これら会社が関連するモノは買いません。スポンサーになっているイベントにも期待しません。

『上から目線』ってどういうこと?

未だに『上から目線』という表現がどういう発言・表現が当てはまるのかが良く判っておらず(普段から上から目線だからなんだろうか)、知りたい衝動に駆られている。。

人を見下すといったニュアンスは判るし、余り良い意味では使われていないとも思う。兎に角不快感がある、そんな風に受け止めている。

っと検索していたら、少しヒントになりそうな意見を見つけた。なるほどそうか、ラベル(俗にいうレッテル)張りを不快としている、といった感覚でつまりメタ認知に対する抵抗と表現でもすれば良いのか。

でも『上から目線』という視点が議論の場で必要であっても、普段の生活でどこまで必要か。

ところで人を褒めるときって上から目線ではないか?

“我々人類が済む地球は今温暖化によりかつて無い危機的状況を迎えている!”ってのも上から目線?



ダメだ、わかんね。

「エンジニアの市場価値」という表現

色々あるなか、次の様な表現には私自身非常に抵抗感を覚えるとともに、使い方が適切でない、と思った今日この頃です。

エンジニアの市場価値

エンジニア自身が「エンジニアとしての自分の市場価値」と少し皮肉を込めて自分自身を表現する意味で言ったり「技能の市場価値」を意味するのでであれば納得もできるかも知れません。

このような表現をする人にはもしかしたら悪意は更々無いのかもしれません、が、エンジニアという人種への接し方が何だかヘンテコリンな感覚を受けるのは気のせいではないと思っています。


だってこれでは家畜みたいでしょ。ドナドナ。